ガラパゴス 昼ご飯を食べた後、会社の周りをフラフラしてたら「大柴さん」と声をかけられた。取引先のかつての担当者Yさんだった。現在は転職されており、今日はたまたま近くの会社に訪問し、帰る途中だったらしい。いやぁ、偶然。久しぶり。何年ぶりだろうか。渋谷に移ってきた頃までは担当役員としてたまにMTGに顔を出したりしてたので、4年ぶりくらいかな。まぁとにかく久しぶりなのです。Yさんがかつて所属してた会社とはウチが創業時からのお付き合いがあり、創業期には売上のほとんどがその会社だった。その後、Yさんが担当になった頃、ウチにとって比較的有利な契約を結んでくれ、毎月安定した売り上げをもたらしてくれた。この安定した収益をもとにウチは会社を大きくしていった。広告入稿日に一晩でバナーを100個以上作ったりしてたのは、今では良い思い出・・・。事業領域が拡大していくにつれて、その会社の売上比率は下がっていったけど、それでも長きに渡って多大なる貢献をしてくれたのは間違いない事実。感謝の言葉以外は見つからないのです。今では会社との取引もとても少なくなり、Yさんは会社を離れ、僕も当時とは役割が異なる。時間が経つのは速い。時代は変わったのだ。10分くらいの立ち話ではあったが、感慨深いものがあった。時間を忘れて話しこんでいたらMTGに遅刻してしまった。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/409/ガラパゴス
『Nevermind』が発売されてから丸22年と聞いて Facebook見てたら「『Nevermind』が発売されてから丸22年」という投稿があった。調べてみると確かに1991年9月24日。現在まで4,000万枚を売り上げているNIRVANAを代表するアルバム。リアルタイムでは聴いてなかったけど、96年冬から97年春にかけての比較的「病んでいる」時期によく聴いていました。CDもビデオ(bootleg版)も本も買った。ボウリング場などに行くときまって「Smells Like Teen Spirit」をジュークボックス(?)でかけた。『Nevermind』から22年、カートが死んで19年半。僕がよく聴いていた時から17年・・・か。当時「Smells Like Teen Spirit」のベースラインを得意気に弾いていたら、友達(ギターを弾く人)に「なぁ、オマエ。それ弾いてて楽しい」と言われハッとしました。たしかにずっと同じリズムを刻むだけだしな・・・。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/408/『Nevermind』が発売されてから丸22年と聞いて
Sdの記事で思い出したビックリマンと10数年前のヤフオク初体験 先日クックパッドによって買収された『Cyta.jp』運営のコーチユナイテッド有安さんのお話がSdに載っていました。>起業家の選択ーークックパッド傘下入りを決めたCyta.jp有安氏【インタビュー】(1/2)まだ前編だけですが、起業前後の地道な活動を垣間見ることができて、後編が今から楽しみです。この記事の中で有安さんが「起業にいたるきっかけ」として高校時代にネットでビックリマンシールを売った経験が書かれていました。「押入れから出てきたビックリマンをヤフオクで売却したら、良いやつが1枚4万円で売れた。ネットってすごいな」みたいな感じ。きっと97年~98年くらいでしょうか。300枚所有していたビックリマンシールを全部売り払ったと。結構な金額になったんじゃないでしょうか。同じような経験を僕もしました。2000年の暮れの話。当時お金が無くて、友達にプレステを貸して、代わりにお金を借りて糊口をしのぐような生活。そんな時、1万円くらいを借りていた友達が「なんだかビックリマンがネットで高値で売れるらしいよ」という話を持ってきました。まじかよと調べてみたら確かに「ヘッド」などは高値で売買されてる。さらに調べてみると「超レア」なシールは超高額で取引されていました。ビックリマンを販売していたロッテが当時は川崎球場を本拠地にしており、ロッテ子供会員になっていた僕は定期的に球場に足を運び、時折開催される子供会の催しで選手と写真を撮ったりしていました。ある日のイベントで抽選で「ロッテの選手がビックリマンのシールになったもの」が配られました。そこで引き当てたのが当時の監督有藤監督をモチーフにした「スーパーオリオン」というシール。当然ヘッド格です。それから10数年。引き出しの中に眠っていたスーパーオリオンが「超レア」として高額でオークションに出品されていました。保存状態も良い僕のスーパーオリオンを友達の協力の元、ヤフオクに出品したところ、どんどんと値が上がり、最終的には16万円で落札されました。結局この落札者はキャンセルしてきたので、再度出品したところ12万円で他の方が落札しました。「4万円下がっちゃったよ」と少し残念な気持ちになったものの、当時の月収よりも上だったので凄く嬉しかったのを覚えています。友達にはお礼込みで2万円を返しました。そこで他のシールも立て続けに出品すれば20万くらいにはなったでしょう。でも何だか「12万円も貰ってしまって悪いなぁ」という気持ちになり、他のヘッドもサービスして一緒に全部落札者に送ってしまいました。このあたりが僕に商売が今ひとつ向いていないところかもしれない。そんなことをSdの記事を読みながら、ふと思いました。とは言え、当時「これ以上は値が上がる気がしない。値のピークが今のような気がする。」と出品に踏み切ったのは良い決断だったかもしれないなぁと。今調べたらさすがに10万はいかないみたい。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/407/Sdの記事で思い出したビックリマンと10数年前のヤフオク初体験