BASEのmeetupで人生初のモデレーターをやった 昨日BASEのmeetupイベントでモデレーターをやりました。人生初のモデレーター。参加者20人いないくらいの小さなイベントではありましたが、小さいイベントはそれだけ距離も近いので大きなイベントよりも緊張したりも。これまでいろんなイベントを見てきたが、総じて思うことがあった。それは「モデレーターしゃべりすぎ」ということ。モデレーターがしゃべりすぎて登壇者が話す時間が少なかったというイベントは意外と多いように思う。モデレーターがしゃべりすぎる理由は、・とにかく自分が目立ちたい・話をまとめようとするが、まとめきれない・登壇者のリズムを上げられず、やむなく繋ぎで自分が多く話すといったとこだろうか。僕はインタビュー記事の連載を持っているが、取材相手の話よりも聞き手である僕の話が多かったらどうだろうか。その記事はよくわからない、読者の期待に沿えないものになってしまうと思う。それと同じで、イベントも主役は登壇者であり、モデレーターが主役ではない。そう思ってる。と、ハードルを上げたけど、実際昨日の初モデレーターはどうだったのか。結論として「そこそこできた」気がする。もっとできたなぁと思うところは多いが、初めてとしてはまずまずだったのではないかと。登壇者に話しをさせるというのは会議におけるファシリテーターみたいなものなので、そこは何となく経験ある。しかし致命的に足りなかったことがあった。それは「お客さんへの視点」です。会議と壇上の決定的な違いはお客さんがいるかどうか。その第三者の存在を忘れ、壇上だけで完結してしまった感がある。そこは反省点。というわけで次回(そういう機会があるかわからないけど)はその点を気をつけていければなと思います。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/451/BASEのmeetupで人生初のモデレーターをやった
1990年代 photo credit: in Shibuya... via photopin (license)輸出向け製造業を営んでいた我が家はプラザ合意以降の円高により苦しい状況が続いていた。世の中はバブル景気まっただ中。近所には豪邸が次々に建てられ、不動産業などの家族が引越してきた。クラスに転校してきたそのコの誕生日会は最近できたばかりのディズニーランドでおこなわれた。参加者は4台のタクシーに分乗して大田区の家から浦安に向かった。1993年、高校2年になった僕は高校近くでオフィス清掃のバイトを始めた。平日は毎日勤務しなければならないが、どうせ毎日学校には行くし、勤務時間は18時〜20時と2時間だけなので問題は無かった。むしろ時給1,300円、皆勤手当5,000円という待遇は魅力だった。1995年1月、目前に迫った大学受験に控えて勉強する日々。そんな中に飛び込んできたのが阪神淡路大震災。今までみたこともない映像が毎日テレビに映し出された。とある受験会場では「震災にあわれた受験生の方は受験料返還します」というアナウンスがあった。受験を終え、浪人が決定してしまったが、とりあえず終わった開放感に浸りながら新潟のスキー場に卒業旅行に友達と行った。昼間はスキーを楽しみ、そして宿に戻りテレビをつけると、いつも通学に使っていた地下鉄で「何か」が起きていた。全く状況がつかめず、ただ「大変なことが東京で起きたようだ」としかわからなかった。地下鉄サリン事件である。浪人時代、代々木のマクドナルドには度々立ち寄った。前年1994年からロープライス戦略を始めたマクドナルドだが、95年には1ドル80円台の急激な円高の影響でハンバーガー1個80円というプライシングに。ちまたでは安室奈美恵の人気が急上昇していた。「TRY ME」のヒットから出す曲出す曲がチャートの上位に名を連ねるようになった。翌1996年はさらに人気は加速し、もはや社会現象のレベルに到達。いわゆる「アムラー」現象。96年に受かった大学ではストレッチブーツやサテンのシャツ、茶髪などのアムラーがいたが、むしろそのブームの中心は女子高生だった。ルーズソックスにポケベル。時代は女子高生を中心に回っていた時代。ポケベルにピッチ(PHS)、使い捨てカメラ、プリクラ。Windows95の発売がニュースで話題になっていたが、僕らにはあまり関係のないことのように思えた。多くの人がパソコン、インターネットに気づき始めたのは1998年以降のような気がする。ただパソコン系の雑誌も多く発売され、ファッション誌にも時折パソコンの紹介記事が載り始めていたことは確かではあるが。95年頃はパソコンはインターネットのツールとしてではなく、音楽やアートをクリエイトできるツールとしてのイメージが僕にはあったし、そこを魅力に感じていた。小室ファミリー、GLAY、ラルク。カラオケは生活に密接なものとなった。特に激安カラオケ店が増えたことは大きかった。93年頃は1曲100円というカラオケボックスも少なくなかったが、96年頃にはほぼ無くなり、一部屋いくら、一人いくらのような料金体系に。ちなみに95年は28曲、96年は19曲、97年は16曲のミリオンヒットが誕生した。しかしCDという形態は徐々に衰退していき、2004年には1曲のミリオンも生まれなかった。女子高生を中心としたムーブメントの中、安くて良いファッションが流行った。そんな流れの中、1998年にファッションの中心地、原宿に一つの大きなお店が建った。ユニクロ原宿店である。それまでなんとなくダサイ印象のユニクロがイメージを一新し、その後の飛躍のきっかけになった原宿店が誕生した。そして発売されたフリースをみんなが購入した。2、3万枚売れればヒットとよばれる中、200万枚売った。2000年には2,600万枚ものフリースを販売するほどの大成功をおさめた。1999年、i-modeが発表された。これまでポケベル、PHSを所持していた人達が一気に携帯に流れた。そして同年3月、渋谷で「ビターバレー宣言」が発せられた。1999年、周囲が就職活動期間になり、それとともにみんなパソコンを持ち出した。「エントリーがインターネット経由のみの会社も出てきた」という理由で親に買ってもらっていた。「ピーヒョロロロロロ」という音とともにダイヤルアップの回線に接続されたパソコンはインターネットという新しい遊びを僕らにもたらせた。ネットに接続してる間は家の電話が使えないために、家族から疎まれ、また料金もかさむ。多くの人は23時〜8時のテレホタイムに集結した。個人ホームページを開設し、日記に掲示板。様々なインターネットサービスが産まれた。-----1995年をピークに日本のGDPが下がり始めたという話から「95年前後って何があったかなぁ」と思い出してババっと書いてみました。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/450/1990年代
Startup Weekend Nagoyaに「Coach」で行ってきた ※役目が終わって、最後列でぼんやりしてる僕。2年前の髪の色が緑っぽい頃に一度「Judge」として参加したStartup Weekend。今度は「Coach」としてオファーを受け、再び名古屋にやって参りました。前回はゲーム縛りだったのですが、今回はそういった縛りは無し。「Judge」は金曜夜〜日曜夕方までに各チームが作り上げたプランを最後に評価するお仕事で、今回の「Coach」は役割が全く違くて、各チームにずっと寄り添い、相談を受け続け、回答し続けるというのがタスク。どちらも経験させてもらったわけですが、今回の「Coach」の方が圧倒的に心身ともに疲れた。以前太河さんと8時間くらいぶっ通しでやった「EVメンタリングデー」のようなのを丸2日続けたような感じ。そりゃ疲れる。とは言え、各チームの皆さんの方が疲れただろうけど。圧倒的に「Coach」の方が疲れたのは確かなんだけど、圧倒的に「Coach」の方が楽しかった。土日は朝10時から夜21時過ぎまでいたんだけど、時間が経つのがめちゃくちゃ早かった。あっとうい間に夜になってしまう感。正直前回の「Judge」は物足りなかったというか、よくわからない部分が多すぎた。でも「Coach」は初めて会う人達がチームを作り、アイデアを組み立て、壁に当たり、メンバー同士のエゴがぶつかり、チームの雰囲気が悪くなり、でも最終日になり切羽詰まり過ぎて逆に吹っ切れてまとまり始め、プレゼンに挑み、完全燃焼だったり、不完全燃焼だったり。そして大穴のチームが優勝したり。目の前で繰り広げられるドラマの一部始終を見て、最終的には感動すら覚えた。非常に良い、楽しい体験をさせてもらいました。気づいたことも多かったので、いろいろ収穫ありました。参加者の皆さんも得たものや気づいたものなど少なくなかったと思う。今回「Coach」を一緒にやられた早瀬さんは3年前のSWに参加し、その後起業されたそうです。今回の参加者の中からも起業をする人が何人かいるかもしれない。今回各チームには「収益の事ばかり考えると小さくなるから、もっと解決したい課題や本当にやりたいこと、目的をちゃんと考えて、そこからサービスを落としていった方がいいよ」「とにかくチームが大切」を結構言った。実際に事業を起こす際は当然市場やターゲット、収益性なんかも考えないといけないけど、まずは大きな絵を描いた方がいいなぁと。あとはチームが作れないと大きくはならない。なのでこの辺のことをわりと繰り返した(繰り返しすぎて、「Judge」の方々からみんなビジネスモデルについて突っ込まれていたので、申し訳ない気分にもなったり)。まぁそんなわけで、この3日間は非常に楽しく有意義だったなぁと思うので、機会があればまた「Coach」をやらせてもらえばなぁと思う次第なのですが、SWは全国(世界中)で開催されているはずなのに、なぜか名古屋からしかオファーがきません。なぜだろう。※misocaのマツモトさん、どうもありがとう。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/449/Startup Weekend Nagoyaに「Coach」で行ってきた