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円高の思い出

僕の出身地は東京の大田区ってとこで、東京の人に大田区のイメージを聞くとたぶん「町工場」とか言われるんだと思う。あながち間違ってはいないけれど、大田区には高級住宅地で有名な田園調布があったり、羽田空港があったり、面積が23区で一番大きかったりと自慢できるポイントが結構あるんだぞ。町工場と言われる製造業も勿論自慢できるポイント。小さな工場だけど世界を相手にしてる。

僕の家も所謂、町工場の一種で工場ではなく自宅でとある製品を作っていました。子供の頃はその製品を箱に詰める作業などを手伝ったものです。そんな「家業」ですが、僕がファミコンに熱中している頃、一つの転機がありました。有名な「プラザ合意」です。1985年秋にあったプラザ合意によって急激に円高に向かったのです。日本自体はこのプラザ合意を機にバブルに突入したとも言われるのですが、我が家は製品を輸出する事がほとんどだったので、円高は凄くダメージでした。子供心に「円高はよくない!」と思ってました。そして親に「(1ドルが)200円になったらファミコンのカセットを買って」とお願い下事を覚えています。

それから25年が経ちましたが一度も200円にはなっていません。今日行われた与党の代表選の影響か、円高はさらに進みました。この先200円になることはないでしょう。でもファミコンのカセットは要りません。強いて言えばPSPが欲しいです。ちなみに僕の生命保険はドル建てなので支払いは今は安くて良い。払い戻す時に今より円安になってればなお良い。