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朝令暮改の対義語として首尾一貫は正しいのか?

「朝令暮改」って言葉に対してとても賛否両論あるよなーって思っています。ブラック経営者の得意技のように扱われる時もあるし、臨機応変で素晴らしい経営者を語る際にも使われる。これだけジキルとハイドな言葉もなかなか無いのでは?

「朝令暮改」をネガティブにとらえる場合は「気まぐれに発言を変える。一貫性が無い。首尾一貫した発言じゃなければ付いていけない」などと言うわれたりしていますが、まぁそうだなぁってボンヤリ思っていました。でもよく考えたら「朝令暮改の対義語として首尾一貫って違くないか?」って思ってきました。

表面上の戦術は臨機応変に朝令暮改でも問題ないと思う。そんなとこまで一貫性を求めたら硬直化して滅びそう。必要なのは、そのベースとなる軸の部分での一貫性なのかなって思ってきました。軸がブレブレで、その表面にある戦術がボンヤリ一貫してても無意味。順調に滅んでいくだけ。

脊髄反射的に「朝令暮改」に嫌悪し、「首尾一貫」を賛美するのは危険だよなぁってふと思った次第でございます。

【まとめ】
・軸のない気まぐれな「朝令暮改」はダメ
・軸(理念とか)が一貫してれば、その表面の戦術が「朝令暮改」でも良くない?
・「朝令暮改」の向こう側にある軸の存在を確認してみては?



経営者じゃないのに経営者視点について考えてみた

「経営者視点」という言葉の定義は何なのかな?って考えたことがあります。

・個人的な問題よりも組織全体の成功を考える。
・短期的な視点ではなく、長期的な視点で考える。
・光の射す方向を示す。むしろ光を発する。
・全体的な数値から問題点を発見し解決策を指し示す。

ざっくりとこんなところかなぁって。


かつてさかんに「経営者視点を持ってもらいたいなぁ」と思ったりしていました。「いやいや、それは視界が狭すぎる」とか「そうは言ってもいろいろ事情があるんだけどなぁ」とか感じながらも調整したり、話合ったりと。

でもこの1年くらい「みんなが経営者視点を持つ事は無理」と思うようになりました。無理ってのは言い過ぎかもしれない。100点満点の経営者視点を持ってもらうのは難しいのかなぁって。

理由は一つ。「経営者視点を持つための材料に乏しい」から。

会社の未来を左右する戦略、全社的な細かい数値、人事戦略、オトナの事情などなど。情報公開が比較的進んでいる会社でも、ヒエラルキーがあまりなく、フラットな組織であろうと、絶対にみんなに話せない事は存在する。そして経営者に付随する責任も。それらの材料がそろって100点満点の経営者視点って持てるのかなぁって。なのに100点満点の経営者視点を求めるのは酷なのではないかと。

役員降りた時に結構重要な情報を共有してくれてて、「これではダメなんです。この情報は役員内で共有し、解決策を見出さないといけないのです。共有してくれるのは有り難いし、嬉しいんだけど、今後は重要な事項については共有しないでください。」と残りの役員にお願いした事があった。

それから重要な事項の情報が全く入ってこなくなった。「それでいいのですよ」と思う反面、一抹の寂しさもあったり・・・。人間って難しい。

まぁそんなわけで、みんなは経営者視点ではなく、経営者が見つめる先を目指して業務に勤しんで、その中でできるだけ広い視野と全体最適を考えていくようにすれば70点くらいの経営者視点を持てるんじゃないかと。


人生、経験ですね。そろそろ次の呪文を覚えるかもしれない。




鴨の親子







先日、家の近くの池に鴨の子供がいるのを発見しました。大人の鴨が住み着いていて、たまに見にいったりするのですが、まさか子供が産まれてたなんて。ピヨピヨと鳴き声がしてて、数えたら10羽くらい子鴨がいました。鴨の子供をこんなに近くで見るのは初めてだったので、写真を何枚も撮ってしまいました。夜も家で「鴨の子は元気だろうか」と心配になってみたりw

しかし、母鴨は偉いね。物音がする度に周囲を見渡して、子鴨の安全を確認してた。あれは大変だ。


そんな中、昨日も池を見にいってみたのですが、人間の親子が池の淵にいまして、お母さんが子供に「鴨の子供はみんなカラスに食べられちゃうんだよ」と話してて切なくなりました・・・。まぁ、そうなのかもしれないけども・・・。

話の前後は聞いていなかったので、「だからウロウロしてると危ないから、言う事をきいてお利口にしていなさい」と子供に言い聞かせてたのかもしれません。真実はわかりませんが、「ちょっと現実主義過ぎるような気がするなぁ」と思いました。


今朝も出社前に池に立ち寄ったのですが、鴨の親子は元気にしていました。