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寿司屋の息子の話

初めて会ったのは池袋の「世界の山ちゃん」だった。よくわけもわからず連れて行かれて紹介された。ちなみに僕は手羽先は苦手です。


2008年2月。その人は財経総務部部長としてウチにやってきた。同時に僕も財経総務部に異動した。その人は僕を「管理系の人」と思ってたらしく、それで異動したってのもあるみたい。それまでの1年間、個人的に不遇をかこっていた時で、この異動を機になんとなく本線に戻っていった気もする。

2008年の総会で僕は久しぶりに取締役に復帰し、その人も取締役になった。所謂CFO的な役割。当時IPO云々の話もあり、最後のピースとして招聘したわけだが、当時はそもそも「規則」や「規定」などのもろもろが全く整っていなかったので、そのあたりのことを地道に整えていってくれた。本職の財務的な事以外の業務ばかりだったんじゃないかなぁ。でも黙々と仕事をこなしていた。

その人は監査法人にいたが、事業側としてIPOを実現したいという夢を持っていた。


紆余曲折を経て、IPOの話も無くなっていった。その人は本来のミッションとは異なる役割である「管理担当取締役」の業務をこなしていた。どうでもいい苦労を強いたこともあった。

2010年夏。新体制となり、現社長、僕、そしてその人の3人体制となった。経営会議などで社長と声を荒らげて議論してたりもしてた。そういう時はだいたい僕が「まぁまぁ」と話を進めるのだけど、とにかく新しい体制として新たな気持ちで頑張った。

2011年3月。僕が勝手を言って取締役を辞任した。それでも着実に新体制は形になっていった。

去年始め、その人が辞めると言い出した。これまで苦楽をともにし、数々の思い出も作った。さみしい気もしたけど、その人の夢も知っていた。正直止められなかった。3月末の総会を持ってその人は任期満了で退任。役員陣は現在の体制となった。現在の体制は比較的上手くいっていると思う。しかし、その礎を築いた立役者の一人はその人であることを忘れてはいけない。

「辞めたらとあるSAPに行く」と聞いて「どいつもこいつもソシャゲだなぁ」と正直思った。しかし、その人の夢をかなえるには良いフィールドかもしれないなぁと思った。昨年久しぶりに会いに行って近況を聞いて、その猛烈な働きぶりに驚いた。もう若くないのだから大丈夫かね?と。まぁでも夢の実現に向かって着実に近づいている感はした。


そして今日、その人は夢を叶えた。
正式に言うとホワイトデーに夢は叶う。でもここまでくれば大丈夫なはず。ホワイトデーなんてバレンタインのおまけみたいなものだ。


大きな決断をして夢を叶えるためにウチにやってきて、その夢を僕は叶えてあげられなかった。しょうがないことではあるが、申し訳ない気持ちが大きかった。しかし、今日その気持ちは少し晴れた気がする。良かった。本当に良かった。



1の部の役員経歴にウチの名前を見た時はちょっと感動しました。きっとその人にとってウチでの4年間は無駄ではなかったのかなって思った。

本当におめでとうございます。

引継は必要だけど、僕が「引継ぐ何か」を持っているかは不明

僕がまだ取締役で僕も周囲も”凄く肩に力が入ってた頃”(婉曲表現)の話。周りの人達にいろいろとご指摘されたりご指導されたりしました。「取締役たるや○○」と言う感じで。「取締役たるや羽振りよくしなければいけない。お小遣い制とかダメ。」「オフィスを借りる時は高級車で借りにいく。」「金髪とか話にならない」とかとか言わんとしていることはわかるけど、ちょっとどうなの?って意見もわりと多かったなぁと今となって思ったり。まぁそのへんはまた別途書こうかと思いますが、そんなご意見の中でも多かったのが「取締役は実務をするな」的なもの。

僕としてはある程度小さい会社においては取締役こそ一番働かないといけないと思うし、実務だってバリバリこなす「一番の社員」でなければいけないかなぁと思うのです。ちなみに現在のシャチョーはバリバリとプログラミングしています。昨日は毎週月曜日恒例の朝会をキャンセルしてHadoopのイベントに終日参加していました。きっと日頃の数倍のテンションでイベントに参加したことでしょう。目に浮かびます。たまに「もう少しシャチョーっぽい業務に割合を割いても」と思うことがありますが、まぁウチの規模ではいいんじゃないかなぁと思います。

もちろん「取締役は実務をするな」の意味はわかります。社員への理念の浸透であったり、マネジメント的なタスクであったり、先を考える事であったり。それはわかるのですが、取締役がスーパープログラマーであったり、スーパー営業マンであったり、スーパー管理のプロの方が100人規模くらいまではまわると思う。

しかしながら、会社の成長や存続、そこに集う人の成長を考えた際に「業務の引き継ぎ、継承」ってのは不可欠になってくると思います。取締役が実務をしたっていい。だけど、ずっと自分の仕事を離さないってのはダメだと思うのです。技術やノウハウなどは周囲や後輩、後継者足りうる人にどんどん共有してかないといろいろ問題が起きてくる。これは取締役に限ったことではないか。会社ってのは属人的ではいけないんじゃないかなぁと。ある程度の組織化は必要なのですね。

よくIR資料の「リスク」の欄に「社長への依存」とか「経営陣への依存」って書いてあるけど、あれは必ず加えないといけないのでしょうかね。上場している大きな企業が数人の経営陣に依存してるってのは些かマズイのではないかと。



それはさておき、法人の代表者が突然この世からいなくなってしまった場合、その法人には代表者しかいなかった場合。もの凄く属人的な法人の後処理というのは非常にめんどくさい。どんなに小さな法人であっても後継者は常に設定しておいた方がいい。そんなことを猛烈に実感しながらここ数日過ごしております。


ペパボさんが会社設立10周年だというので



周囲は「踊れミレニアム!」なんて言ってた1999年末、僕はインターネットを始めた。

バイト先のカラオケ屋の店長から譲ってもらった”透明じゃない”マック。見よう見まねで覚えて作ったホームページを作ったのが1999年11月。ジオシティーズでスペースを借りた。バナーが大きくて微妙だったけど、無料だったし、アップローダーも完備してたので満足してた。ちなみに掲示板はもちろんtcupです。後にplasticという掲示板にしたけど、その頃はみんなtcupだった。

その後数年はジオシティーズにお世話になっていた。

テキストサイト系や写真系、イラスト・素材系サイトなどコジャレ路線を狙ってた僕は、好きなサイトなどを自分のサイトのリンクコーナーに載せたりしてた。ジオシティーズやプロバイダのWebスペースでサイトを作っている人も多かったが、2001年くらいから可愛いドメインのサイトが増えていった。それが『ロリポップ』だったわけだ。ロリポップユーザーに対して少し憧れていたりもした。ちなみに奥さんは今でもロリポ&ムームーユーザーです・・・。


時は流れて2005年。ペパボさんから声をかけて頂き、お食事をすることとなった。ちょっと緊張した。赤坂NINJAで食事をしたが、僕の正面に座った家入さんはコーラを飲んでいた。僕も下戸なので「一緒ですね」などと言いながらコーラを飲んだ。「お土産に」と頂いた携帯ストラップはなんだかずっと使ってて、今ではキーチェーン的に使ってる。


ペパボが設立されてから10年だそうです。おめでとうございます。
僕たちも今年10期目。ほぼ同級生。僕たちも負けずに千年続く会社になるよう頑張っていこうと思います。