忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


創業時より動き続け、アクセスを刻み続けている「忍者アクセス解析」がリニューアルしたようだ

先週、創業サービスであり、その時からほぼ姿を変えずに運営されていた「忍者アクセス解析」の管理画面が大幅にリニューアルされた。とてもレガシーな作りであり、在籍時より何度もリニューアルの話が出てきたが、もろもろ触ることが難しく、そのままとされてきた。もっともとてもレガシーではあるが、基本的に不具合もなく、まったく手をいれなくても動き続け、それなりに支持を集め続けていたというのは「忍者アクセス解析」の完成度の高さを物語ってるのかなと。まぁそれでもさすがにレガシーなので思い切ってリニューアルに踏み切った現メンバーには敬意を払いたいところ。

「忍者アクセス解析」は創業時より動き続け、アクセスを刻み続けている。稼働し始めてもう12年くらいになるのかな。現在の手裏剣バナーになったのはいつの頃か忘れたけど、10年以上前なのは確かなとこ。現在の手裏剣バナーも何度かマイナーチェンジしたけど、最初にImage Readyで作成した時のことは覚えているし「僕の作ったアニGIFが毎日1億回も見られているなんて凄いな」とちょっと感動した。作ったことよりも、その感情の方が強く覚えている。

10年前の8月。忍者システムズはもろもろありハニワシステムになった。そして10月よりサムライファクトリーと社名を変更し、今に至るわけだが、最近関わっているスタートアップを見ていると、否応無くその頃の様子が浮かんでくる。DIYのように会社を作り、成長させていく様は今も昔も変わらないし、いつ見ても良いものだ。自分達の手で作っていく感というのが創業時の醍醐味であり、何度も味わいたくなるものだなと思う今日この頃。この時期を抜けるとまた違った楽しさがやってくる。


「人は死ぬものだ」というのを改めて実感した

とても悲しい。

ゲームウォッチ、ファミコン世代の僕。岩田さん時代の任天堂とは疎遠であった。「任天堂のような会社にしたいな」と思ったりしたこともあった。憧れの存在の大躍進を先導したのが岩田さん。苦境の時期もあったけど、復活の狼煙を上げた矢先の訃報。

ほんとに、なんでだろう。


追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健
岩田聡社長の訃報に世界中から驚きと悲しみのツイート 「ThankYouIwata」ハッシュタグも

岩田さんは天才プログラマーであり、最高レベルの経営者でありながら、誰からも愛される人格者だったのを改めて認識された。僕のような凡庸な人間はせめて人格だけでも近づけるように精進しなければと強く思った。ご冥福をお祈り致します。




こないだ39歳になった僕が辿った音楽変遷(その1)

ベーシックの新田さんが「今年40歳の俺が大好きなパンクバンド20選」という記事を書いてた。僕も書きたいなーと思ったものの、特定のジャンルで書けるほど深堀りしていないので、聴いてきた音楽をざっと振り返ってみようかと。


幼少期(〜小学生)

当時は「ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」などの歌番組が毎週ゴールデンタイムに放送されていた。ラジカセをテレビに近づけて録音するという同世代なら誰もやったことあるアレをやったり。
そんな小学生時代に「なんだかこれは良い曲だ!」と思ったのが渡辺美里の「My Revolution」。渡辺美里の代表曲であるが、同時に作曲家として小室哲哉が広く一般に知られた曲としても知られています。


中学生時代

世の中「バンドブーム」で、筋肉少女帯やジュンスカ、ジッタリンジンなどが流行っていました。一方「長渕剛派かプリプリ派か」みたいな異種格闘技みたいな議論が学校でおこなわれていたり。この頃はテレビよりもラジオをよく聴いていて、そこで出会ったのがXでした。とくに「ENDLESS RAIN」はラジオから録音したものを何度も聴きました。


高校時代(邦楽)

通学用に買ったウォークマンでよく聴いていたのがBUCK-TICK。クラスの友達にアルバムを借りて録音した。あとビデオクリップを初めて買ったのがBUCK-TICK。


Being系と呼ばれるユニットが数多くデビューし、ヒットした92、3年。その中でも好きだったのがZARDで、高校時代に発売されたシングルは全て購入したと思う。シングルCDを買いまくってた高校時代。


深夜番組で知ったJUDY AND MARY。曲も良かったんだけど、とにかくYUKIちゃんが好みでな。ジュディマリは解散までずっとCD買ってたし、99年にインターネット始めた頃にYUKIちゃんの画像を拾って壁紙にしたりしてたなー。


高校時代(渋谷系の波)
https://www.youtube.com/watch?v=KjxmckVdSz4
渋谷系と呼ばれる音楽が台頭し、その中でもICEの浮遊感はとくに好きだった。代表曲「MOON CHILD」は今聴いても時代遅れ感ないような気がするし、圧倒的な名曲。
ピチカートやCHARAとかよく聴いてたのもこの頃。


高校時代(洋楽の波)

高校2年くらいから洋楽を聴くようになったんですよ。最初に衝撃的だったのがビョーク。なんかよくわからないけど、聴いてしまう。曲調も歌い方もMVもどれも衝撃だった。


「BEAT UK」でもよく流れていたAce of Baseもよく聴いた。大学受験の頃に聴いたなぁ。


友達に誘われて高3の文化祭でバンドをやったんだけど、その時やった曲にレニー・クラヴィッツの「Are You Gonna Go My Way」があった。この曲も良いけど、僕はレニー・クラビッツがプロデュースしたヴァネッサ・パラディが好きだった。


文化祭バンドではRun-D.M.C.の「Walk This Way」もやった。このバンドはツンギターにツインドラム(片方がドラムの時は片方がキーボード)というわけわからん編成で、ドラムの女性がラップも担当した。今考えるとけっこう斬新だったな。


と、ここまで一気に高校時代まで書いたけど、ひとまず今日はここまでで。続きは気が向いたら書きます!