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中二っぽい思考だな

子供に接すると特に感じるのだが、やはり性善説が正しいのではないかと。人間生まれた時は無垢であり、本来は「善」の種子を有しているのではないか。成長過程において様々な「悪」が身についていってしまうのではないかと。基本的にいつもそのように考えてはいるのだが、子供の濁りの無い瞳を見ると強く再認識するのです。

しかし、歴史においてや、昨今のニュースなどを見ていると「生まれながらの悪」というのはそうはいっても存在するのではないかとも思う時もある。バートリ・エルジェーベトとかさ・・・。いや、彼女も生まれた瞬間は「善の種子」を持っていたのかもしれない。「性は善であってほしい」し、それが後天的に歪んでしまったら、直しようがあるので救いがある。そう思うのです。

と、ここまで「性善説」だとか「性悪説」だとか書いているのだが、荀子が仰った「悪」とは現代で使われている「悪」のことではなく、「本来持っている欲望、欲求」みたいなことを指しているようです。孟子も「性は善である」というよりか本当は「性は善であるべき」と考えていたらしいが(ってwikiに書いてあった)。

まぁ、兎角、「言葉」というのは難しいものである。
おそらく「言葉」というのものは「伝達」において非常に有効なものであり、古来より「言葉」を中心に文化が花開いていったと推測されるのです。文化を広めるためには「言葉」は必要だと思います。

しかし、反面、「言葉」は「想い」と「本来の意味」で異なったりするケースも多々あり、それがやっかいだったりします。例えば「シニカル」という言葉も自分の想いとはかけ離れて認識されているのだろう。いや、本来の意味からかけ離れているのは僕の方なんだろうけど。