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カラオケと人生の話

先日約1年ぶりにカラオケに行ったのですよ。夫婦で3時間も唄いました。楽しかった。


僕が初めてカラオケに行ったのは高校1年の時。1992年です。中学の頃からカラオケボックスなるものがちらほらと建立されていて、ブームになりつつあったのですが、恥ずかしがりやの僕は誘いを断り続けていました。高校入学後、どこのカラオケに行ったか忘れたけど、とにかく行くことになってしまって、JITTERIN'JINNの「プレゼント」を唄ったわけです。ていうか今「じったりんじん」が一発で変換されたのにビックリしました。まぁそんなわけで、それからはブームということもあったのですが、頻繁にカラオケに行くようになりました。一回やってしまえばもう平気です。

当時「通信カラオケ」などというものは無く、CDかLDという分類でした。CDは使い回しの映像。初期は今のスクリーンセイバーみたいな動く幾何学模様がひたすら流れているというトランス的な映像の下に歌詞が出るカオス感満載な感じでした。かったるいドラマ仕立ての映像も今となっては思い出です。映像はしょぼいけど曲数が多いのがCDの特徴。LDは個別の映像付きなので曲数が少ない。高校生の頃はLDの部屋なんて入ったことないです。

基本的には「1部屋1時間○○円」という料金設定だったと思うけど、最初の頃は1曲100円ってのもあった。そういうカラオケに行く時は事前に小銭を用意して行かなければならない。そして料金入れの上に100円玉を積んでおくのです。さすがに1曲100円システムは廃れていったけど、採点機(外付け)の場合は採点1回100円とかもあった。

もうここまで書いてみたけど、90年代前半感がやばいですね。今の若者にはもはや何を言ってるのか理解できないでしょうね・・・。

90年代前半はカラオケ全盛期でCDもめちゃくちゃ売れていました。結構「カラオケで唄いやすい曲」というのがもてはやされた気がします。Being系とか。カラオケで唄いたいがためにCDを買うというサイクルがあったんだと思います。僕もシングルを相当買いました。

大学に受かったので早速バイトを始めたのですが、それが地元のカラオケ屋。個人経営の店で、当時はCDとLDの部屋しかなかった。店主のおばさんから「だいぶ客は減ったのよ」と言われたものの週末はとんでもなく忙しくて、ゼエゼエいっちゃうくらい疲れた。いろんな部屋から老若男女が唄う「アジアの純真」が聴こえてきた。店はやがて通信カラオケを導入した。個人的にはDAMが好き。歌本がどんどん分厚くなっていった。「この先、歌本ってどうなっちゃうんだろう」と不安に思ったものです。

最盛期は地元の駅周辺に4軒もカラオケ屋があった。東京の端の小さな街にもかかわらず。しかし、僕がカラオケ屋でバイト始めた96年には1軒しか残ってなかった。そしてその店も今ではもう無い。

大学を中退した後もグダグダした毎日を送っており、定期的にそのカラオケ屋でバイトしたりしてた。一時期は店長になりそうになった。もうこのままカラオケ屋を引継ごうかなぁとも思ったが、ひとまず固辞した。そんなカラオケ屋に後輩のバイトとして入ってきた女性がいた。その女性は日中はwebデザイナーをやっていて、夜に小遣い稼ぎとしてカラオケ屋にバイトにきた。すぐに辞めてしまったのだけど、家も近かったのでたまに遊んだりしていた。その女性が片手間で手伝ってた会社のwebデザイン担当を僕が引継いだり、10対10という壮絶なコンパ※を共催したり、たまに連絡を取り合っていた。

※大変すぎて飲んでもいないのに吐いたという思い出が。




数年後、2004年1月。その女性から久しぶりにメールがきた。
「友達と会社を作ったからきてよ。デザイナーが欲しいのよ。」と。会社名を聞くと「忍者システムズ」と返信があった。「忍者?怪しい会社?」と返信した。


2004年2月16日に僕は忍者システムズの一員となった。
来週であれから丸9年、そして10年目を迎える。