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引継は必要だけど、僕が「引継ぐ何か」を持っているかは不明

僕がまだ取締役で僕も周囲も”凄く肩に力が入ってた頃”(婉曲表現)の話。周りの人達にいろいろとご指摘されたりご指導されたりしました。「取締役たるや○○」と言う感じで。「取締役たるや羽振りよくしなければいけない。お小遣い制とかダメ。」「オフィスを借りる時は高級車で借りにいく。」「金髪とか話にならない」とかとか言わんとしていることはわかるけど、ちょっとどうなの?って意見もわりと多かったなぁと今となって思ったり。まぁそのへんはまた別途書こうかと思いますが、そんなご意見の中でも多かったのが「取締役は実務をするな」的なもの。

僕としてはある程度小さい会社においては取締役こそ一番働かないといけないと思うし、実務だってバリバリこなす「一番の社員」でなければいけないかなぁと思うのです。ちなみに現在のシャチョーはバリバリとプログラミングしています。昨日は毎週月曜日恒例の朝会をキャンセルしてHadoopのイベントに終日参加していました。きっと日頃の数倍のテンションでイベントに参加したことでしょう。目に浮かびます。たまに「もう少しシャチョーっぽい業務に割合を割いても」と思うことがありますが、まぁウチの規模ではいいんじゃないかなぁと思います。

もちろん「取締役は実務をするな」の意味はわかります。社員への理念の浸透であったり、マネジメント的なタスクであったり、先を考える事であったり。それはわかるのですが、取締役がスーパープログラマーであったり、スーパー営業マンであったり、スーパー管理のプロの方が100人規模くらいまではまわると思う。

しかしながら、会社の成長や存続、そこに集う人の成長を考えた際に「業務の引き継ぎ、継承」ってのは不可欠になってくると思います。取締役が実務をしたっていい。だけど、ずっと自分の仕事を離さないってのはダメだと思うのです。技術やノウハウなどは周囲や後輩、後継者足りうる人にどんどん共有してかないといろいろ問題が起きてくる。これは取締役に限ったことではないか。会社ってのは属人的ではいけないんじゃないかなぁと。ある程度の組織化は必要なのですね。

よくIR資料の「リスク」の欄に「社長への依存」とか「経営陣への依存」って書いてあるけど、あれは必ず加えないといけないのでしょうかね。上場している大きな企業が数人の経営陣に依存してるってのは些かマズイのではないかと。



それはさておき、法人の代表者が突然この世からいなくなってしまった場合、その法人には代表者しかいなかった場合。もの凄く属人的な法人の後処理というのは非常にめんどくさい。どんなに小さな法人であっても後継者は常に設定しておいた方がいい。そんなことを猛烈に実感しながらここ数日過ごしております。


ペパボさんが会社設立10周年だというので



周囲は「踊れミレニアム!」なんて言ってた1999年末、僕はインターネットを始めた。

バイト先のカラオケ屋の店長から譲ってもらった”透明じゃない”マック。見よう見まねで覚えて作ったホームページを作ったのが1999年11月。ジオシティーズでスペースを借りた。バナーが大きくて微妙だったけど、無料だったし、アップローダーも完備してたので満足してた。ちなみに掲示板はもちろんtcupです。後にplasticという掲示板にしたけど、その頃はみんなtcupだった。

その後数年はジオシティーズにお世話になっていた。

テキストサイト系や写真系、イラスト・素材系サイトなどコジャレ路線を狙ってた僕は、好きなサイトなどを自分のサイトのリンクコーナーに載せたりしてた。ジオシティーズやプロバイダのWebスペースでサイトを作っている人も多かったが、2001年くらいから可愛いドメインのサイトが増えていった。それが『ロリポップ』だったわけだ。ロリポップユーザーに対して少し憧れていたりもした。ちなみに奥さんは今でもロリポ&ムームーユーザーです・・・。


時は流れて2005年。ペパボさんから声をかけて頂き、お食事をすることとなった。ちょっと緊張した。赤坂NINJAで食事をしたが、僕の正面に座った家入さんはコーラを飲んでいた。僕も下戸なので「一緒ですね」などと言いながらコーラを飲んだ。「お土産に」と頂いた携帯ストラップはなんだかずっと使ってて、今ではキーチェーン的に使ってる。


ペパボが設立されてから10年だそうです。おめでとうございます。
僕たちも今年10期目。ほぼ同級生。僕たちも負けずに千年続く会社になるよう頑張っていこうと思います。



いつもの場所以外での作業は「非日常」が良い気がする

喫茶店などで仕事をしたり勉強したりブログを書いたりする事はたまにあります。今も都内某所のドトールです。

こういった家以外での作業というのは、思い返せば高校生の時の図書館での勉強ってのが最初なんじゃないかと思います。高校近くの図書館に放課後行き、自習室的なとこで勉強する。正直あまりはかどらなかった記憶がありますが、同級生の中にはいまだに資格の勉強などでその図書館に行ってたりするみたいなので、はかどっていた人もいたのでしょう。

浪人時代は主に地元の図書館に行っていた。ここでもあまり勉強した記憶はない。図書館に行くという行為に既に酔っていて、勉強の進捗などは二の次になっていたのです。こういう事例はよくあります。


図書館以外で一人で過ごすというのは浪人時の深夜のモスバーガーを思い出します。家で勉強してて、息抜きに駅のモスバーガーに行って手帳を眺めてみたり。まだ携帯の無い時代。そもそも息抜きが必要なほど勉強してなかったのだけれども。

時はだいぶ流れます。

数年前、まだ役員だった頃は時折、会社近くの喫茶店に行って組織を考えてみたり、事業を考えてみたり、講演の原稿を書いたり。たまにそんな事をしてたりしました。最近はもっぱら仕事帰りに勉強したり考えをまとめたりするのに立ち寄ったりします。年末年始のこのブログの更新は都内某所のルノアールでした。


いつもの環境ではなく、多少の雑音がある場所での作業の方がはかどる場合もあります。ただ、前述の通り、場所を変える事自体に酔ってしまい、作業が進まない場合もあります。どちらかというと後者の方が多いかもしれません。いつもの場所以外での作業は「非日常」の作業が合う気がします。「日常」の作業はきめられた場所の方が良い気がします。


さて、今日ですが、このドトールに立ち寄った目的はとある勉強のためだったのですが、参考書を家に忘れてしまってたため、ブログを更新しています。ちなみにこのブログを更新することは「非日常」のようです。『インターネット界隈の事を調べるお』などは「日常」の作業なので会社以外では全く更新できません。おかしなものです。