年賀2011 絵を描くことも好きだったし、文字を書くことも好きだった。だから年賀状を書くのって好きだったし、結構なイベントだった。昨今、年賀状という文化に対していろいろ言われているようだけど、ここは一つ素直になってもいいんじゃないかな、と。今年はひねくれないで、素直でいこうと思う。御神籤ですが、悪かったので2回も引いたけど、結局同じような事がかかれていました。総じて厳しい・・・。「希望」は何かに邪魔されるとか。でも最終的にはきっと叶うはずなので、粘り強くいこうかと。それにしても御神籤等の影響力は大きいですね。なんか気になってしまう。御神籤と一緒に入ってた「貴方の性格」という方に書いてあったところが気になるところ。「素直で相当信用を得られるが強い感受性を持っているため善悪いづれにも極めて染み易い傾向がある」素直な心で見極めたいと思います。今年も宜しくお願いします。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/335/年賀2011
年賀状はまだ書いていません 今年は例年に比べて一日早く、28日に納会をした。29日は何かと忙しい人が多いというのも理由の一つ。コミケとか。今年の納会はちょっと趣向を変えて、会社外の場所で行った。真面目な1部と、所謂打ち上げ的な2部という構成。1部ではpod氏より来期以降の「想い」的なものの発表があった。もっと詳細な事まで伝えたかったが、諸事情で押してしまい、概要メインの内容となってしまったが、発表自体は結構良かったのではないかと感じた。pod氏は特に饒舌な方ではないが、裏表のない人なので、言葉が伝わるのではないかと思う。随所に天然っぽさも含まれていて、それが結果的にアイスブレイク的な作用をしたり。みんなに会社の想いやpod氏の想いが全てではないかもしれないが、伝わったのではないかと思う。その後、何人かの感想を聞いたけど、概ね好評だった様。過去に5回、「納会」というものをやったが、「納会」自体に関しては過去一番良かったのではないかと思っている。もちろんいくつかの改善点は見つかったけど、総評とすれば過去に比べて圧倒的に良かったというのが感想。「納会」なので、この一年頑張ってくれたみんなを僕たちがもてなすというのが筋であり、それが今年はある程度できたんじゃないかなと思う。その後、何人かの感想を聞いたけど、概ね好評だった様。--------------そのあと、いくつかの「懸念点」があったので、昨日pod氏とファミレスで少し話し合いの機会を設けた。その辺は年明けにでも改めて実行していくと。--------------今年の7月末までは監査役で、その後の5ヵ月は取締役だったわけで、前半と後半とでは全く異なった景色が見えた一年だったなぁと。特に10月以降は個人的にボロボロだったので、徐々にではあるけど、来年は復活していきたい。そして、コミュニケーションの難しさを凄く実感したのも後半部分。「なぜわかってくれないのだろうか」と何度も思ったり。人間というのは難しいものです。--------------来年のことはまた来年に書くとして、ひとまず今年もありがとうございました。夏以降で8~9キロ痩せたけど、もう少しいきたい。あと5キロくらいはいけるだろ。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/334/年賀状はまだ書いていません
中二っぽい思考だな 子供に接すると特に感じるのだが、やはり性善説が正しいのではないかと。人間生まれた時は無垢であり、本来は「善」の種子を有しているのではないか。成長過程において様々な「悪」が身についていってしまうのではないかと。基本的にいつもそのように考えてはいるのだが、子供の濁りの無い瞳を見ると強く再認識するのです。しかし、歴史においてや、昨今のニュースなどを見ていると「生まれながらの悪」というのはそうはいっても存在するのではないかとも思う時もある。バートリ・エルジェーベトとかさ・・・。いや、彼女も生まれた瞬間は「善の種子」を持っていたのかもしれない。「性は善であってほしい」し、それが後天的に歪んでしまったら、直しようがあるので救いがある。そう思うのです。と、ここまで「性善説」だとか「性悪説」だとか書いているのだが、荀子が仰った「悪」とは現代で使われている「悪」のことではなく、「本来持っている欲望、欲求」みたいなことを指しているようです。孟子も「性は善である」というよりか本当は「性は善であるべき」と考えていたらしいが(ってwikiに書いてあった)。まぁ、兎角、「言葉」というのは難しいものである。おそらく「言葉」というのものは「伝達」において非常に有効なものであり、古来より「言葉」を中心に文化が花開いていったと推測されるのです。文化を広めるためには「言葉」は必要だと思います。しかし、反面、「言葉」は「想い」と「本来の意味」で異なったりするケースも多々あり、それがやっかいだったりします。例えば「シニカル」という言葉も自分の想いとはかけ離れて認識されているのだろう。いや、本来の意味からかけ離れているのは僕の方なんだろうけど。 http://takanori.blog.shinobi.jp/Entry/333/中二っぽい思考だな